学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第4章 真の地域貢献めざし - 温故知新 #2 (第156話)
公開日 2012/11/12
安城女子専門学校・安城女子職業学校正門「私は7才になりました。その年、母は突然、善光寺参詣を思いたちました。母は仏教に篤(あつ)い信仰をもっていたので、両親を始め先祖代々の供養と、母娘ふたりの開運を祈願するためだったのでしょう。
母は私の手を引いて、その年(明治21年)の4月、信濃の国へ旅立ったのであります。私は蓙(ござ)を背負い、杖を握り、母に連れられて歩きました。
こうした難行苦行を続けること2ヶ月。善光寺詣りの念願を遂げての帰り道、疲れ果てた母と子は二股の分かれ道にさしかかりました。陽はすでに山の向こうに姿を没してほの暗く、人影さえもありません。まったく途方にくれてしまいました。当時の奥三河から信州の山間には山犬(狼の一種)や猪が沢山棲(す)んでいて、相当多くの被害を出しているということを、前々から耳にしておりましたので、そんな山の中で夜を明かすことはできません。
ところがどうでしょう。その角の所に一基の石が倒れていたのです。まさに道標です。薄明かりの中で、指をこすりながら読んでみると、『右、かきのみち』と刻まれていたのです。かくて山犬の餌にされることもなく、無事わが家に帰ることができました。
母は無学ではありましたが、平仮名の読み書きを身につけていたのです。もし、あの時、道標は見つけても、『右、かきのみち』の文字が読めなかったら、私たちはどうなっていたでしょうか。家に帰ると、すぐ母は、私を小学校に入れるのだといって、出かけてゆきました。」
(『おもいでぐさ』より)

 信仰の篤い母による寺部だいの数々の経験が、学園の「真心・努力・奉仕・感謝」の四大精神につながっている。

「村から離れて、女の職業というと、小学校の先生になるか、看護婦になることです。私は初志通り、小学校の先生を望みました。
しかし、18才にも達しているとはいえ、系統のある組織的な教育を受けていない。だから師範学校へ入りたくても、その受験資格がない。その時、天野先生から、東京に、渡辺裁縫女学校というのがあって、裁縫教員を養成していると聞きましたので、早速、学則を取り寄せてみたのです。
一時も早く、上京して入学したいと思い、母に相談いたしますと、母は、『親子ふたりの農業と、古着商とで、何とか生活の見込みが立つようになったのに、とんでもない』と。私は半病人のように、ふらふらになってしまいました。母もこれを見兼ねて、上京を許してくださったのです。」
(『おもいでぐさ』より)

 家政学はこれからの社会でますます必要になる。もしだいが看護婦を選んでいたら、今とは全く異なる安城学園になっていたのであろう。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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