学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第4章 真の地域貢献めざし - 経営改革を今に #5 (第139話)
公開日 2012/10/22
コミュニティ政策学部紀要(平成11年) 学部設置への具体的な動きは、平成8(1996)年に入ってから。3月に大学・短期大学の教職員全体会が豊田キャンパスで開かれ、新学部の構想についての説明が行われた。
 そこで示された学部で育成する能力は、「自分で考え、問題を発見し解決できる能力」「英語とコンピュータを操作できる能力」「よいコミュケーションを築くためのプレゼンテーション能力」が強調された。
 参加者からは、特に卒業生の進路についての質問があった。当然だった。
 大学をとりまく環境は「大学全入時代」の言葉で表されるように、“入り口”の厳しさが迫る一方、“出口”においても就職氷河期時代が到来し、厳しさを増していた。
 平成2(1990)年、バブル経済の崩壊により経済は停滞期に入り、平成4(1992)年10月には有効求人倍率が1.0を下回り、大学生・高校生の就職は、“売り手市場”から一転、買い手市場に突入した。以降、就職氷河期は10年以上にわたって続くのである。
 そうした潮流の中、「全国で初めてという新しい学部を作って、果たして卒業生の就職先はどんなものだろう」といった懸念、危惧がもたれるのは自然な感情だった。
 学部の名に冠せられる「コミュニティ」という言葉は、それからも学内で繰り返し議論の対象になったという。
 曉は、新学長としての基本的な考えの一つとして、

「本学、特に豊田キャンパスの社会的ポジションはまだまだ高いとは言えない。しかし、だからこそまず『学生を育てること』で、社会から、地域から、絶大な評価が得られる、教育で勝負する学校という意味で『教育大学』というポジションを確立すべく、全力投球する必要がある」

 と考えた。さらに「まちづくりのためのひとづくり」という方針に基づいて地域貢献に力を注いだ。「さまざまな問題を的確に把握し、問題を解決するための政策を提言し、行動できる人材を育てる」という学部の設置は地域から絶大な評価が得られるはずのものだった。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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