学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第4章 真の地域貢献めざし - 経営改革を今に #2 (第136話)
公開日 2012/10/18
岡崎城西高等学校校長時代の寺部曉理事長―まずは、学園の建学の理念と建学の精神を再認識し、再確認することだ。「庶民性」と「先見性」―これを、社会の変化・時代の要請を受けて再構築することだ…。

 行き着いた考えは建学の理念と建学の精神を学校法人安城学園の教育改革のバイブルとすることでもあった。
 実は、2代の理事長の間には、建学の精神をめぐって議論を交わした時があった。それははるか以前のことであった。曉が信州大学の理学部数学科を卒業後、しばらく他の道を進んだのち、安城学園に籍を移したまだ若い頃のできごとだった。
 曉は学園では法人本部に属し学園全般の管轄をした。法人本部はルーツ校である安城学園高等学校と同居しており、身近に安城学園高等学校の教育を垣間見る機会があった。そして、―安城学園高等学校は「真心・努力・奉仕・感謝」を建学の精神として掲げているが、どの程度教育実践されているのだろうか。“看板”として出しているだけではないだろうかという疑問を抱いた。時は経済も高度成長期にあり、生徒募集など学園の運営は順調の中にあるが、私立学校として随一の拠りどころとすべき建学の精神がどのように教育に反映されているか…。
 曉はこの疑問を父と話し合った。

「羊頭狗肉(ようとうくにく)ではないだろうか。もしも看板だけならば、書き換えるか下ろさなければいけない」

 これに対し、清毅は毅然として言った。

「わしはわしの方針でやる。」

 理事長も自説を譲らなかった。
 結局、議論は噛み合わず、そのため曉は学園を去って再び他の職に就いたのだった。私立学校の礎である建学の精神に対するこだわりがお互いに相当強かったということである。
 その後、曉が再び学園に戻ったのは昭和60(1985)年である。岡崎城西高等学校の教壇で数学を教えた。
 そして、平成5(1993)年に同校の校長に…。そんな経緯があったのである。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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