『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第4章 真の地域貢献めざし - 経営改革を今に #1 (第135話)
公開日 2012/10/17

だが、その年明けた平成8(1996)年、学園に衝撃が走ることが起こった。5月10日、理事長であり学園長であった清毅が呼吸不全のため急逝したのだ。これより前、昭和59(1984)年11月に3幼稚園の園長として務めていた清毅の妻・芳子も世を去っていたが、清毅の他界はここに一つの世代の終焉(しゅうえん)を示すことになった。
これにより、寺部曉が理事長に就任した。前年から敷かれていた布石が幸いスムーズな後任人事につながった。
曉は、父が遺した学園経営の数々の足跡をたどって、想った。
父は学園の経営が窮状にある中、理事長の職に就いた。そして、最も危機感を持ったのは建学の理念と建学の精神に基づいた教育が強力に推進されているとは思えない状況に対してであった。父は直ちに財政の健全化に取り組み、5ヵ年計画を重ねるとともに建学の理念と建学の精神に基づいた教育を実現する上で必要な教育改革を強力な指導力で推進した。学園創立80周年記念式典の挙行や愛知学泉大学経営学部経営情報学科の新設、岡崎キャンパスの再開発などに手腕を振るったことも記憶に新しい。学園の基盤を今日のように堅固なものにしたことは、“中興の祖”と言われるにふさわしい。
いま自分が同様理事長として学園を継承していくことになって、いかなる信念をもって、何を求め、何を為していくべきか…。
これまでの学園との係わりを顧みながら、曉は内省した。
(つづく)
※ 文中敬称略
※ 文中敬称略