『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - 変革の時代へ #3 (第131話)
公開日 2012/10/12
岡崎城西高等学校の進学実績―ちなみに、昭和57(1982)年度から平成3(1991)年度までの10年間における大学合格者総数は3887名。その後半の5年間は、前半期よりさらに1.3倍増、国公立大学合格者に限ると2.7倍もの伸びを見せたのだった。国公立大にも1年に十数名が合格するようになり、大学進学者数において、「岡崎城西高等学校は西三河の公私立高校中で5指に入る」とまで評価されるようになった。また、大学進学における特異な現象として、海外の大学(海外の日本校も含む)及び国内の外資系大学への進学者も目立った。
学園の充実はクラブ活動にも反映し、その活躍は社会的にも大きく瞠目(どうもく)されるものがあった。
昭和60年代に入ると、特に大学女子バスケット部の全国的な活躍が目立った。
“学泉”の女子バスケットボールの戦歴は、短期大学において昭和35年全日本学生選手権に初優勝。以後6年連続で優勝を果たした。この間公式試合216連勝の偉業を記録するなど、伝統的に強豪ぶりを誇り、昭和50年代末頃から再び黄金時代を築く。
昭和60年代には毎年、全日本バスケットボール選手権大会、日本女子学生バスケットボール選抜大会、西日本学生バスケットボール選手権大会などに出場。優勝、準優勝をかっさらった。それは“連戦連勝”、まさに破竹の勢いだった。
平成3(1991)年度には、大学女子バスケット部は東海学生バスケットボール選手権大会、東海学生バスケットボールリーグ戦、西日本学生バスケットボール選手権大会、日本女子学生選抜バスケットボール大会、全日本学生バスケットボール選手権大会に優勝し、5冠制覇を果たし、4年3月に大学女子バスケット部全日本学生バスケットボール選手権大会10度目の優勝祝賀会を岡崎名鉄ホテルで行ったりした。
安城学園高等学校でのこの頃のクラブ活動で特筆するなら、吹奏楽部の活躍だろうか。
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学園の充実はクラブ活動にも反映し、その活躍は社会的にも大きく瞠目(どうもく)されるものがあった。
昭和60年代に入ると、特に大学女子バスケット部の全国的な活躍が目立った。
“学泉”の女子バスケットボールの戦歴は、短期大学において昭和35年全日本学生選手権に初優勝。以後6年連続で優勝を果たした。この間公式試合216連勝の偉業を記録するなど、伝統的に強豪ぶりを誇り、昭和50年代末頃から再び黄金時代を築く。
昭和60年代には毎年、全日本バスケットボール選手権大会、日本女子学生バスケットボール選抜大会、西日本学生バスケットボール選手権大会などに出場。優勝、準優勝をかっさらった。それは“連戦連勝”、まさに破竹の勢いだった。
平成3(1991)年度には、大学女子バスケット部は東海学生バスケットボール選手権大会、東海学生バスケットボールリーグ戦、西日本学生バスケットボール選手権大会、日本女子学生選抜バスケットボール大会、全日本学生バスケットボール選手権大会に優勝し、5冠制覇を果たし、4年3月に大学女子バスケット部全日本学生バスケットボール選手権大会10度目の優勝祝賀会を岡崎名鉄ホテルで行ったりした。
安城学園高等学校でのこの頃のクラブ活動で特筆するなら、吹奏楽部の活躍だろうか。
(つづく)
※ 文中敬称略
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