『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - “新生”の呼称 #3 (第127話)
公開日 2012/10/06
安城学園の学園歌「永遠の女」は、昭和27(1952)年、作詩・作曲を当時の日本で最高の人に依頼することにして、必要な費用を1日1円貯金、映画会、アルバイト等で全校でつくり出し、作詩は大木惇夫(あつお)、作曲は山田耕筰に依頼したものだった。
彩雲なびく 安城に
聖けしや わが学び舎
知恵ぞ満つ 古きいずみ
いよよはげみて いそしみて
こころの糧を汲みとらん
あこがれは 永遠(とわ)の女(おみな)
ああ まごころをつらぬかん
新しい学名はその第1節の歌詞から採(と)られた。
新学名は「愛知学泉大学」、「愛知学泉女子短期大学」と決定した。「愛知」は地名を表わすとともに、最高学府にふさわしい「知を愛する」という理念をも表現しており、かつて「愛知女子大学」と命名したことと同じ姿勢のものだった。そして加えた「学泉」とは、学園歌第1節にある「わが学び舎」「ふるき泉」から採られたもので、汲めどもつきせぬ「学問の泉」の府を象徴するものとされた。
こうして以来、「ガクセン」の略称は愛称ともなって地域の人々に親しまれていくことになった。
学園ではまた、大学、短期大学の名称変更に伴い、安城学園女子短期大学附属高等学校を「安城学園高等学校」とし、幼稚園も安城学園大学附属幼稚園を「安城学園愛知学泉大学附属幼稚園」、安城学園女子短期大学附属幼稚園を「安城学園愛知学泉女子短期大学附属幼稚園」とそれぞれ名称変更し、70周年を機に新しいスタートを切ることとなった。
こうして大学、短期大学は、新名称のもと、さらなる発展への素地を築いたのであった。その画期的な発展は、昭和62(1987)年に次の段階として現れた。
彩雲なびく 安城に
聖けしや わが学び舎
知恵ぞ満つ 古きいずみ
いよよはげみて いそしみて
こころの糧を汲みとらん
あこがれは 永遠(とわ)の女(おみな)
ああ まごころをつらぬかん
新しい学名はその第1節の歌詞から採(と)られた。
新学名は「愛知学泉大学」、「愛知学泉女子短期大学」と決定した。「愛知」は地名を表わすとともに、最高学府にふさわしい「知を愛する」という理念をも表現しており、かつて「愛知女子大学」と命名したことと同じ姿勢のものだった。そして加えた「学泉」とは、学園歌第1節にある「わが学び舎」「ふるき泉」から採られたもので、汲めどもつきせぬ「学問の泉」の府を象徴するものとされた。
こうして以来、「ガクセン」の略称は愛称ともなって地域の人々に親しまれていくことになった。
学園ではまた、大学、短期大学の名称変更に伴い、安城学園女子短期大学附属高等学校を「安城学園高等学校」とし、幼稚園も安城学園大学附属幼稚園を「安城学園愛知学泉大学附属幼稚園」、安城学園女子短期大学附属幼稚園を「安城学園愛知学泉女子短期大学附属幼稚園」とそれぞれ名称変更し、70周年を機に新しいスタートを切ることとなった。
こうして大学、短期大学は、新名称のもと、さらなる発展への素地を築いたのであった。その画期的な発展は、昭和62(1987)年に次の段階として現れた。
(つづく)
※ 文中敬称略
※ 文中敬称略