『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - “新生”の呼称 #2 (第126話)
公開日 2012/10/05
“豊田進出”の話は順調に進み、学園では昭和57(1982)年度開学を目処として準備を進めることにした。
問題は開設する学科だった。豊田市は文系を希望していたが、英文科や国文科では新鮮味に乏しいし、名古屋地区の大学、短期大学とも競合する。
そんな条件・環境のなか構想が練られ、その結果、英語力と国際的教養を同時に身につけ、実社会で活躍できる女性の育成を目標とするということで、「国際教養科」を開設することになった。
こうして学園は、安城・岡崎・豊田という西三河の代表的な3都市において等しく教育活動を展開することとなり、ここに「実態に合わせた名称に…」という声が学内に強まったのだった。
「安城学園大学」、「安城学園女子短期大学」というこれまでの名称は、法人名をそのまま冠したものだ。だが、第三者にはときに、ただ「安城」という地名を表わしたものだと受取られることも多かった。従って、大学、短期大学が岡崎にキャンパスを持つ時点から、岡崎地域を中心に、名称変更の要望が学園に寄せられていた。そこへ、短期大学国際教養科が豊田市に開設するという計画が持ち上がった。となると、豊田地域からも同様の要望が向けられることが予測される。
大学、短期大学の協議委員会、教授会で名称変更についての検討を始めた。
そして、「創立70周年を迎えるにあたって、安城学園の教育の核としての大学、短期大学が更なる飛躍を目指すために、学名変更は大きなバネになり得るし、きわめてタイムリーである」と判断され、名称の変更を決断したのだった。
新名称については、色々提案があった。決め手は、
「狭い地名によらないこと」
「建学の精神等本学独自の特色を表わすものであること」
の2点だった。
そこで拠り所とされたのが学園歌だった。
問題は開設する学科だった。豊田市は文系を希望していたが、英文科や国文科では新鮮味に乏しいし、名古屋地区の大学、短期大学とも競合する。
そんな条件・環境のなか構想が練られ、その結果、英語力と国際的教養を同時に身につけ、実社会で活躍できる女性の育成を目標とするということで、「国際教養科」を開設することになった。
こうして学園は、安城・岡崎・豊田という西三河の代表的な3都市において等しく教育活動を展開することとなり、ここに「実態に合わせた名称に…」という声が学内に強まったのだった。
「安城学園大学」、「安城学園女子短期大学」というこれまでの名称は、法人名をそのまま冠したものだ。だが、第三者にはときに、ただ「安城」という地名を表わしたものだと受取られることも多かった。従って、大学、短期大学が岡崎にキャンパスを持つ時点から、岡崎地域を中心に、名称変更の要望が学園に寄せられていた。そこへ、短期大学国際教養科が豊田市に開設するという計画が持ち上がった。となると、豊田地域からも同様の要望が向けられることが予測される。
大学、短期大学の協議委員会、教授会で名称変更についての検討を始めた。
そして、「創立70周年を迎えるにあたって、安城学園の教育の核としての大学、短期大学が更なる飛躍を目指すために、学名変更は大きなバネになり得るし、きわめてタイムリーである」と判断され、名称の変更を決断したのだった。
新名称については、色々提案があった。決め手は、
「狭い地名によらないこと」
「建学の精神等本学独自の特色を表わすものであること」
の2点だった。
そこで拠り所とされたのが学園歌だった。
(つづく)
※ 文中敬称略
※ 文中敬称略