『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - “新生”の呼称 #1 (第125話)
公開日 2012/10/04
清毅理事長による学園改革が続けられる中、昭和57(1982)年、安城学園は創立70周年の節目を迎えた。
この時、学園は大学、短期大学の名称変更をした。
安城学園大学は「愛知学泉大学」、安城学園女子短期大学は「愛知学泉女子短期大学」として新たな歩みを踏み出したのだった。
大学は昭和41(1966)年に愛知女子大学として発足してまもない43(1968)年に安城学園大学に名称変更し、10余年を経ていたが、ここに再び改称したのだった。
「大学は常に学名と学部名を気にしている」と一般に言われる。大学関係者、特に、私立大学関係者にとって、募集対策は常に重要な関心事であり、大学のイメージチェンジのために、全国で大学名や学部名が変えられることも頻繁である。これも少子化を迎え、大学にマーケティングという視点が生まれたことによるとも指摘されているが、安城学園の改称はそうした皮相的な理由によるものではなかった。
名称を変えることによってデメリットが生まれる場合がある。認知度の低下、そして長年卒業生を送り出し社会から認知されてきた元のブランドの価値が薄まってしまう可能性もあり、校名を変えるのには勇断が要った。そうした中、安城学園があえてそういうデメリットを認めた上で思い切った改称に踏み切ったのには、学園が発展していく中、実態に合わせた名称にしたという背景があった。
大学では、独自の家政学を樹立するなど、大学、短期大学をリフレッシュしていく過程の中で、昭和47(1972)年に安城市桜井町の安城市立桜井高等家政学校の校舎・校地を市から有償譲渡を受け、更に周辺の土地を買収して、53(1978)年に幼児教育科をここに移転するとともに、安城市小堤町にあった短期大学の3科を岡崎キャンパスに移転した。
一方、この頃、豊田市から短期大学の誘致を受けていた。市長からは豊田市のシンボルにしたいとのことで、若林駅から近距離の高台に数1000坪の提供が申し出された。
この時、学園は大学、短期大学の名称変更をした。
安城学園大学は「愛知学泉大学」、安城学園女子短期大学は「愛知学泉女子短期大学」として新たな歩みを踏み出したのだった。
大学は昭和41(1966)年に愛知女子大学として発足してまもない43(1968)年に安城学園大学に名称変更し、10余年を経ていたが、ここに再び改称したのだった。
「大学は常に学名と学部名を気にしている」と一般に言われる。大学関係者、特に、私立大学関係者にとって、募集対策は常に重要な関心事であり、大学のイメージチェンジのために、全国で大学名や学部名が変えられることも頻繁である。これも少子化を迎え、大学にマーケティングという視点が生まれたことによるとも指摘されているが、安城学園の改称はそうした皮相的な理由によるものではなかった。
名称を変えることによってデメリットが生まれる場合がある。認知度の低下、そして長年卒業生を送り出し社会から認知されてきた元のブランドの価値が薄まってしまう可能性もあり、校名を変えるのには勇断が要った。そうした中、安城学園があえてそういうデメリットを認めた上で思い切った改称に踏み切ったのには、学園が発展していく中、実態に合わせた名称にしたという背景があった。
大学では、独自の家政学を樹立するなど、大学、短期大学をリフレッシュしていく過程の中で、昭和47(1972)年に安城市桜井町の安城市立桜井高等家政学校の校舎・校地を市から有償譲渡を受け、更に周辺の土地を買収して、53(1978)年に幼児教育科をここに移転するとともに、安城市小堤町にあった短期大学の3科を岡崎キャンパスに移転した。
一方、この頃、豊田市から短期大学の誘致を受けていた。市長からは豊田市のシンボルにしたいとのことで、若林駅から近距離の高台に数1000坪の提供が申し出された。
(つづく)
※ 文中敬称略
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