学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - 宿望の大学設置 #3 (第116話)
公開日 2012/09/24
晩年の寺部だい 昭和41(1966)年は、学園にとって逝く人への愛惜が続いた年でもあった。
 この年の3月まで安城学園女子短期大学学長だった二木謙三が、4月27日、93歳で逝去した。二木は、東京大学名誉教授、文化勲章受賞者、日本学士院会員という肩書をもつ、医学界における権威者だったが、だいとは知己で、その懇願を受けて快く14年もの間、学長の任に就いていた。だいにとっては感謝し尽くせない一人であった。
 それだけに、その訃報に気落ちもしたのだろうか、その頃、健康がすぐれず安城更生病院に入院していただいは5月18日、心不全症に急性肺炎を併発し、83年の生涯を終えたのだった。
 生前の教育貢献に対し、従五位勲四等に叙された。安城市名誉市民ということもあって、6月7日に、安城学園体育館で安城学園・安城市の合同葬が行われた。
 午前10時からは、学園の学生、生徒、園児3241名による礼拝献花の儀が行われ、午後2時からは、石原一郎安城市長を葬儀委員長として葬儀・告別式がとり行われた。文部大臣、愛知県知事をはじめ1500名もの参列があり、だいの教育の対する貢献と遺徳のほどが偲ばれた。
 学園では、後任人事として、だいのもとで学園の経営と教育に携わっていた寺部二三子を理事長とした。だが、二三子理事長もまた、8月5日、入院先の安城更生病院で53歳の生涯を終えた。前年10月に手術を受け、退院後の療養もそこそこに大学設立準備に奔走しただけに、その激務が影響したのかも知れなかった。
 わずか3ヵ月ぐらいの間に、理事長が相次いで亡くなるということは、偶然というより、運命の皮肉としか言いようがない。
 葬儀を済ますと、理事会は杉原博を理事長に推し、停滞する事態の収拾に全力をあげた。
 しかし、学園をとりまく事態は深刻さを加えていた…。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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