学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - 宿望の大学設置 #1 (第114話)
公開日 2012/09/20
矢作川河川敷での美術の実業(昭和 45年頃、短期大学部幼児教育科)「女性は情操を大切にしなければなりませんが、それだけでなく、もっと勉強して知性を磨かないことには、これからの社会においての女性の地位向上は望むことはできません。そのような女性を一人でも多く、新設の大学で育てて、世に送り出すことができたらよいと思います…」
「従来、行ってきた実学的色彩の強い短大教育だけでなく、新しい学問としての家政学の追求には、どうしてもアカデミックな場としての大学が不可欠であります」

 昭和40(1965)年4月に行われた教授会の席で、だいが、大学にかける期待、そして総合学園教育の柱としての大学を新設する必然性を話していた。
 だいはこれまで抱いてきた宿志を教授会へ諮問したのだった。
 これを受けた教授会では、大学進学率が上伸傾向にある状況を考えて、「新設の機会としては妥当である」と答申、学園理事会の賛意を得て大学設立に向けてスタートした。
 基本プランとして、大学学舎は岡崎市舳越町の用地に設置、近い将来には小堤町校地で高校と同居している短期大学も移設して、この地に大学・短期大学・岡崎城西高等学校を結集した一大キャンパスをつくることにした。
 だが、教授会で大学の教職課程について論議を重ねるうち、計画が膨らんだ。

「これを機に思い切って短期大学部幼児教育科を設置しては…」

 という提案が出てきたのだ。
 この“ひょうたんから駒”のような提言には、学園拡充に積極的なだいも、さすがに時期尚早であると考えた。

―4年制大学の設立だけでも手いっぱい。そんなところへ更に短期大学部の学科新設は…。

 だいには、財政をはじめあらゆる面で実現可能性に自信が持てなかった。
 しかし、その頃、各地の市町村で幼稚園、保育園が増設される機運が高まっており、幼稚園教諭、保育園保母の不足が目立ち始めていた。教授会の強い進言もそこに理由があった。
 だいもそうした教育情勢を判断、結局、大学家政学部と短期大学部幼児教育科の同時設置を目指すことを決意した。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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