『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - 拡充の昭和三十年代 #8 (第112話)
公開日 2012/09/18
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教育実態も、教職員や生徒の努力によって格段の“前進”を見せる。
十分な校舎も運動場もない中で発足したが、5月末には8つの運動クラブが活動を始め、秋には文化クラブもできて、クラブ数は20にも…。生徒会も1学期末には発足。強歩大会、校内マラソン大会など岡崎城西高等学校伝統の行事も始まる。
進学校を目指し、5月からは英・数の補習授業を始め、2学期からは学力別のクラス編成も行われた。学力を高め将来の進路を切り拓くための努力が生徒、教師一体となって行われた。
岡崎城西高等学校としてのアイデンティティも出来上がる。
分校から独立校としての第一歩を踏み出した時、学校長として就任した岩城留吉が、高校教育における豊かな経験から、だいの「建学の心」を受け継いで『質実剛健』を打ち出し、以来、この言葉が“城西教育”の拠りどころとなっていく。
* * * * *
学園にとって、昭和37(1962)年という年は短期大学の家政科新設、男子校設立、そして高校本館の増築工事という布石をしただけでなく、創立50周年という節目の年でもあった。
10月27日、記念式典が挙行された。これを機に、だいの寿像が除幕され、これまでの半生を回顧した自伝『おもいでぐさ』が刊行された。
同時にだいは安城市名誉市民に推戴(すいたい)された。4年前(昭和33(1958)年)には藍綬褒章の叙勲、それに続く栄誉だった。半世紀にわたって営々と教育の道を歩んできただいにとってこの上なく輝かしく、労が報(むく)われるひとときだった。
しかし、だいに「功成りて」といった満足感はなかった。なお、明日に向かって絶え間ない学園構想を練っていたのだった。
(つづく)
※ 文中敬称略
※ 文中敬称略