『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - 拡充の昭和三十年代 #1 (第105話)
公開日 2012/09/08

そうした中、「安城学園女子短期大学」も産声をあげた。
学園では前年の4月に保育園を、9月には各種学校として「安城学園家政文化学院」を開設し、経営の立て直しを図っていたが、短期大学設置に伴って保育園に代えて安城学園女子短期大学附属幼稚園(現愛知学泉短期大学附属幼稚園)を設けた。ここに短期大学を核として高等学校、中学校、幼稚園を擁した総合学園をいち早く形成したのだった。
―もう再び教壇に上がることはできないであろう。
だいは、公職追放を受けて、ほぞを固めていた。しかし、追放が解除されて復帰が可能になった。
―昔の仕立屋・裁縫塾に戻ったつもりでやろう。
戦後の新しい教育制度が確立されて、何もかもが出直しだった。だいは、学園の現状を見るにつけ、原点から再出発する思いを強く抱いた。
昭和29(1954)年、だいは理事長を引き受け、会計も自ら担当、事務関係一切を娘の二三子に受け持たせることにして学園経営に本腰を入れることにした。
* * * * *
物事・事象は単純化すれば伝えやすい。しかし、多面的な視点が欠けることで、本質を見失う場合もある。その危険をあえて冒して俯瞰(ふかん)すれば、昭和30(195)年は戦後10年の節目の年であった。翌年7月発表の第10回「経済白書」(経済企画庁発表)で、戦後の復興経済にピリオドが打たれた表現として「もはや戦後ではない」と謳(うた)われたことにもそれが表された。
(つづく)
※ 文中敬称略
※ 文中敬称略