『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - 新たな息吹 #5 (第104話)
公開日 2012/09/07
だいは学園構築に夢を膨(ふく)らませていた。専門学校の流れを汲む「女性の高等教育への参画」だった。そして、そうした夢を叶(かな)えさせる制度が生まれた。昭和25(1950)年、修業年限が2年または3年の「短期大学」という新しい形態の高等教育機関制度が発足することになったのだ。
戦後の学校教育法の施行により旧制専門学校は新制大学に移行することになったが、その際に大学設置基準に満たない学校が出た。そのため、暫定の制度として設けられた救済的な措置だった。
「深く専門の学芸を教授研究し、職業又は実際生活に必要な能力を育成すること」―
学校教育法に短期大学の主な目的がこう謳(うた)われた。
こうした趣旨は、「女子に技術を習得させて自立を援けるとともに、その教育の成果を地域の振興につなげたい」と願うだいの創学の志に通ずるものでもあった。
官公立の専門学校はほとんど大学に切り換えられ、私学の中にも大学となるものがあったが、学校の位置から考え、また女子だけを対象にしていること、家事方面が専門であることから考えて、安城女子専門学校は結局、短期大学に切り換えるのが妥当であろう。この安城を中心とした三河地域の女性の高等教育の場として「短期大学」を設置しよう。
これは、戦前だいが専門学校設置を考えた志と同じものだった。
―せめて短期大学を…。
新制大学の設置申請を見送っただいは、この「短期大学」に夢を託した。
だが、これに学内からブレーキがかかった。
「短期大学への切り換えは不可能です」
清毅が公職追放で去った後、だいは学校の一切を責任者に任せていたが、そのスタッフの口が揃って言う。
これに、だいは久しく秘められたままでいた闘志が奮然として湧き上がった。
「安城女子専門学校の卒業生諸姉に対しても、せめてこのくらいの処置をしなくては申し訳が立たない。一切の困難を排して短期大学への切り換えをする」
だいは意を決して自ら行動に移った。
戦後の学校教育法の施行により旧制専門学校は新制大学に移行することになったが、その際に大学設置基準に満たない学校が出た。そのため、暫定の制度として設けられた救済的な措置だった。
「深く専門の学芸を教授研究し、職業又は実際生活に必要な能力を育成すること」―
学校教育法に短期大学の主な目的がこう謳(うた)われた。
こうした趣旨は、「女子に技術を習得させて自立を援けるとともに、その教育の成果を地域の振興につなげたい」と願うだいの創学の志に通ずるものでもあった。
官公立の専門学校はほとんど大学に切り換えられ、私学の中にも大学となるものがあったが、学校の位置から考え、また女子だけを対象にしていること、家事方面が専門であることから考えて、安城女子専門学校は結局、短期大学に切り換えるのが妥当であろう。この安城を中心とした三河地域の女性の高等教育の場として「短期大学」を設置しよう。
これは、戦前だいが専門学校設置を考えた志と同じものだった。
―せめて短期大学を…。
新制大学の設置申請を見送っただいは、この「短期大学」に夢を託した。
だが、これに学内からブレーキがかかった。
「短期大学への切り換えは不可能です」
清毅が公職追放で去った後、だいは学校の一切を責任者に任せていたが、そのスタッフの口が揃って言う。
これに、だいは久しく秘められたままでいた闘志が奮然として湧き上がった。
「安城女子専門学校の卒業生諸姉に対しても、せめてこのくらいの処置をしなくては申し訳が立たない。一切の困難を排して短期大学への切り換えをする」
だいは意を決して自ら行動に移った。
(つづく)
※ 文中敬称略
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