『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第3章 拡張の道は広く - 新たな息吹 #3 (第102話)
公開日 2012/09/05
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この追放により講演は出来ず、教壇に立つことも許されない、学園にとっては大きな痛手となった。
「これから新しい制度の中学校、高等学校を創って、戦後の手直しをしていかねならないというときに…」
だいは、その筋の指令に従ってやむなく社会との交渉を絶ち、学園の運営に表立ってかかわれないことへ焦燥(しょうそう)を感じながらも、学園の明日の構築について清毅と計っていった。
* * * * *
戦後の社会は一変した。教育制度の変わり方も大きく、昭和22(1947)年は、日本の教育史においてエポックを画する年となった。
3月31日に「教育基本法」、さらに同日これを具体化した「学枚教育法」が公布され、これに基づいて学制の改革が行われたのである。
改革の要点は4点。「教育の機会均等、普通教育の普及向上と男女差別の撤廃、学校制度の単純化、大学数の増加」であった。戦前の複線型の学校系統は単線化され、6・3・3・4制のもと小学校および中学校の9ヵ年が義務化された。
新学制の実施は、小・中学校は昭和22(1947)年度、高等学校は昭和23(1948)年度、大学は昭和24(1949)年度から実施することとされた。
この画期的な新学制の実施は、各学園を大きく揺るがした。安城学園でも、これまでの職業学校を女子高校に移行させ新制中学を併置することにした。
(つづく)
※ 文中敬称略
※ 文中敬称略