学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 新たな礎石を固め #3 (第97話)
公開日 2012/08/30
昭和5年の展覧会では4000人が来場した。毎年2月に開かれ、安城の祭礼並みのにぎわいを見せた 昭和7(1932)年の大臣視察は、学園にとって大きなトピックニュースだったが、全国的にもその存在が脚光を浴びることになり、当時の教育視察は玉川学園を視察してから安城の女子専門学校・職業学校を視察するというのが一つのコースにもなった。
 玉川学園は、昭和4(1929)年に小原國芳により「全人教育」を教育信条に掲げて開校。創立以来「全人教育」を教育理念の中心として、人間形成には真・善・美・聖・健・富の6つの価値を調和的に創造することを教育の理想として独自の教育を展開していた。そして安城での女性自立に基づいた教育、物の活用に徹した教育―。共に特異ながら示唆に富む教育イズムとして全国の学校から熱い注目を浴びたのだった。

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 昭和11(1936)年、学園は開校25周年を迎えた。明治45(1912)年の裁縫女学校開校からの年輪だ。
 安城女子専門学校と安城女子職業学校合同で「校報」が発行され、ここで、25年間における卒業生約2千名を送り出し、現に約3百名の在校生をかかえて、学校経営は安定のうちに推移しているといった現勢がうたわれた。
 昭和10(1935)年度の生徒数は『愛知県学事要覧』(昭和12年10月刊)によると、職業学校が本科と選科を合わせて241名、専門学校は本科と別科を合わせて25名であった。
 だが、職業学校・専門学校で特徴的なことは依然として具現されていた。それは、県外応募の多いことであった。
 昭和11(1936)年3月には、職業学校本科卒業生76名のうち31名、専門学校卒業者では11名のうち4名が県外出身であった。大正末期以来、県外出身者が多いという本校の伝統は依然と続き、“全国区学校”として“健在”だったのである。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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