学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 次なる飛躍 #6 (第85話)
公開日 2012/08/11
安城女子職業学校でのミシン実習 文部省の係官は話をまともに聞き入れてくれる様子もない。
 だが、だいの持ち前の“不撓(ふとう)不屈”の気性がここで頭をもたげた。

―これで消沈しているわけにはいかない。

 だいはこれに反駁(はんばく)した。

「農業と家事は関係ないとおっしゃられますが、むしろ密接な関係があります。農業が盛んな安城のような土地にこそ専門教育が必要なんです」

 だいは、これまで裁縫塾以来継続してきた教育方針を説明し、職業を身につけ自立する女性の育成をいかに努めてきたかを訴えて、係官の先入観の解きほぐしにかかった。
 それでも、係官は話に乗らない。だいは、その後、何回も上京して説得を続けることになった。
 この執拗なまでの説き伏せに、ついに係官も折れた。

「そうまで言うのであれば、専門教育に農業を加味する種類のものを計画しなさい。それなら専門学校として設置を認めることを考えてもいい」

 こんな示唆が与えられて、ようやく出願が認められた。
 だいにまた新たな課題ができた。
 こと、裁縫・家事に関してなら“自家籠中”のことと言えるが、農業と関連させての教科を構成するとなると、誰か農業分野に詳しい人物の力を借りなければならない。
 だいは、色々思案した。その末、農業界の大人物に視点を合わせた。

―山崎先生の力を仰ぐしかない…。

 だいが着目した山崎延吉は、日本近代の農政家・教育者として知られていた。
 明治34(1901)年、愛知県立農林学校(現愛知県立安城農林高等学校)の初代校長となって同校を全国3大農学校の一つに育て上げ、大正9(1920)年に校長を退職すると、全国の農村を巡って、組合を創って資金を融通し合ったり出荷・購入を共同で行ったりすることを勧めるなど、「農業経営の改革」を説き農業経営の在り方について指導した。また“多角型農業”を提唱して農業改善に力を尽くし、特に安城市一帯を後年「日本デンマーク」と呼ばれるほどの農業先進地に仕立てた功績が大きく認められていた。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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