『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 次なる飛躍 #5 (第84話)
公開日 2012/08/10
だいが新天地での学園構築を進めたのは、校地狭隘(きょうあい)という現実問題の打開のほかに、ある宿望を抱いていたからだった。
―女子専門学校を設立しよう。
それは、他の目には“野望”とも映る高望みの願いであった。
その思いは、早くから沸々と胎動していたが、大正14(1925)年4月、高等女学校卒業を入学資格とする高等師範科を設置したときにはっきり芽生えた。そして、小堤町での学校施設の充実と併行してその実現への模索が進められていった。しかし、実現までのその道のりは長く、険しかった。
まず身内の説得からかからねばならなかった。
「まだ2、3年、時期が早い…」
相談を受けた三蔵は、ブレーキをかけた。連年にわたる工事続きで資金に余裕はなく、財政上から考えても無理な話、理事長として慎重にならざるを得なかったのだ。
しかし、だいの専門学校設置の思いはやみがたく、文部省に出願の可否、認可見通しの打診に行った。そこで、文部行政の厚い壁を感ずることになった。
「安城に女専…?」
応対にあたった文部省の係官は、だいの申請希望を歯牙(しが)にもかけない態度だった。
「〈家事、裁縫を主とする〉女子専門学校は、官立、私立合わせても全国で9校しかない。しかも、どれも大都会にあって、町なんぞにあるところはない。特に安城といえば農業地帯。そんなところに女子専門学校を創っても第一、入学する学生は無いだろう」
中央では、安城町はつまるところ地方の一都邑(とゆう)に過ぎない。そんな地での専門学校の存在など全く論外のことだった。
「地方に専門学校は必要なし」
話を極めれば、文部省ではこういう結論なのである。
―女子専門学校を設立しよう。
それは、他の目には“野望”とも映る高望みの願いであった。
その思いは、早くから沸々と胎動していたが、大正14(1925)年4月、高等女学校卒業を入学資格とする高等師範科を設置したときにはっきり芽生えた。そして、小堤町での学校施設の充実と併行してその実現への模索が進められていった。しかし、実現までのその道のりは長く、険しかった。
まず身内の説得からかからねばならなかった。
「まだ2、3年、時期が早い…」
相談を受けた三蔵は、ブレーキをかけた。連年にわたる工事続きで資金に余裕はなく、財政上から考えても無理な話、理事長として慎重にならざるを得なかったのだ。
しかし、だいの専門学校設置の思いはやみがたく、文部省に出願の可否、認可見通しの打診に行った。そこで、文部行政の厚い壁を感ずることになった。
「安城に女専…?」
応対にあたった文部省の係官は、だいの申請希望を歯牙(しが)にもかけない態度だった。
「〈家事、裁縫を主とする〉女子専門学校は、官立、私立合わせても全国で9校しかない。しかも、どれも大都会にあって、町なんぞにあるところはない。特に安城といえば農業地帯。そんなところに女子専門学校を創っても第一、入学する学生は無いだろう」
中央では、安城町はつまるところ地方の一都邑(とゆう)に過ぎない。そんな地での専門学校の存在など全く論外のことだった。
「地方に専門学校は必要なし」
話を極めれば、文部省ではこういう結論なのである。
(つづく)
※ 文中敬称略
※ 文中敬称略