学校法人安城学園
『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 教育方針の確立 #4 (第79話)
公開日 2012/08/04
学校内で行われた修養会(昭和5年頃) 安城女子職業学校の当初の教育は、よき家庭の主婦、また職業婦人(教師)として立つために十分な裁縫技術の指導をすることが中心であったが、やがてはっきりと、いわゆる全人教育が意識的に行われるようになった。

「女人ノ天職ヲ徹底的ニ自覚セシメ、時代ノ要求セル実際的実用的、所謂社会的女子ヲ養成スル家族的女学校ニシテ、軽佻浮薄(けいちょうふはく)ナル女子ヲ養成スル形式教育ハ絶対ニ忌避致シテ居リマス」
「学資ヲ節約シ質素勤勉自立自活ヲ旨トシ、其他生活上実際事項ヲ事実ニ鍛錬シ、人格教育ノ基ニ忠実ナル人ヲ養成スルヲ主義トシ念願トシ……」

 「入学案内」には教育主旨や特長がこう掲げられるようになった。
 三蔵は学校における修養をさらに徹底、修養団とも深いかかわりを持った。
 修養団は明治39(1906)年に結成された精神運動作興のための修養団体である。スローガンに「流汗鍛錬・同胞相愛」を掲げて、自らの修養と他への博愛を目指し、後藤静香もこの団体活動に傾倒したりした。
 三蔵もまた、この修養団の精神に深く感ずるところがあり、積極的に修養精神の普及に力を注ぐようになった。この修養団の精神は「真心・努力・奉仕・感謝」の精神と深く結びつくものがあり、学校での生徒指導に大きく位置づけられていくことになった。
 修養団活動が、生徒指導の中に独自に組み込まれるようになり、毎日朝礼時には、修養団関係者・小林一郎が著わした修養書『心の力』を一章ずつ全員で唱和してから授業に入ったりして、修養団の精神が生徒指導の根幹になっていった。
 だが、この修養団との密接な結びつきが、やがて図らずも学校経営にも大きなプラスをもたらすことになった。
 修養団の愛知県支部は、大正8(1919)年5月に結成されるが、その支部長となったのは“農民道”を唱え農村教育の先覚者と目されていた山崎延吉(やまざきのぶきち)であった。山崎は修養団の趣旨に賛同し、支部長となってその精神の発揚に努めていた。その山崎が、修養団と三蔵の深いかかわりを機縁として、だいが描く“次なる飛躍”の舞台において、主役の一人として登場することになるのだった…。
(つづく)
※ 文中敬称略
 
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