『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 学校資格を高め #8 (第73話)
公開日 2012/07/28
それは、いささかセンセーショナルなタイトルでもあった。
「私生児に生れて女学校長になる迄 ―蔑みと嘲りとを鞭として―」
今でいう“シングル・マザー”の子として生を享(う)けたその生い立ちから始まって、苦労の末、現在の安城女子職業学校を築き上げるまでのだいの半生が同雑誌記者のルポ記事としてまとめられたものだった。
恵まれない運命(さだめ)に屈せず、自立を求めて、東京での壮絶な苦学の様子、経済的な苦境を乗り越えながら果たした学校経営、そしてその学校の内容、教育方針などが紹介されているのだった。
だが、この記事は、読者には単に“サクセス・ストーリー”としてではなく、自らの力で生き抜いていく人生設計の糧として提供されていた。
「将来の婦人は実際的な力の持ち主でなければならない」
だいは、この信念のもと、自分の学校にて1年で尋常小学校准教員、2年で小学校裁縫専科正教員、さらに尋常小学校正教員の資格をとらせることについて、記者に縷々(るる)語った。記者も、だいの言葉をしっかりとらえて、ここにそのままを記した。
「そうすれば、家庭の事情などで中途退学しても、それまでの勉強が役に立ちます。こうして資格を得させておけば、万一の場合、例えば夫に死別した場合などにも、見苦しく狂い迷うようなことはありません。財産などは決して最後の保証にはなるものではありません。結局婦人も、自分一人の力を養い、しっかりした実力の上に生活の基礎をおくべきです。私はすべての生徒を働ける婦人に育てます。働ける婦人でなければ、決して理想の主婦ではありませんから」
自らの体験に基づいて培っただいの女性自立論がそこに吐露されていた。それだけに、不遇にあえぐ人、逆境から立ち上がろうとする人、心傷ついた人、こうした人々を、励まし、勇気づけるものであり、なかでも、若い女性やその親たちの心を強くとらえたのだった。
だが、反響はさらに輪を広げる。
「私生児に生れて女学校長になる迄 ―蔑みと嘲りとを鞭として―」
今でいう“シングル・マザー”の子として生を享(う)けたその生い立ちから始まって、苦労の末、現在の安城女子職業学校を築き上げるまでのだいの半生が同雑誌記者のルポ記事としてまとめられたものだった。
恵まれない運命(さだめ)に屈せず、自立を求めて、東京での壮絶な苦学の様子、経済的な苦境を乗り越えながら果たした学校経営、そしてその学校の内容、教育方針などが紹介されているのだった。
だが、この記事は、読者には単に“サクセス・ストーリー”としてではなく、自らの力で生き抜いていく人生設計の糧として提供されていた。
「将来の婦人は実際的な力の持ち主でなければならない」
だいは、この信念のもと、自分の学校にて1年で尋常小学校准教員、2年で小学校裁縫専科正教員、さらに尋常小学校正教員の資格をとらせることについて、記者に縷々(るる)語った。記者も、だいの言葉をしっかりとらえて、ここにそのままを記した。
「そうすれば、家庭の事情などで中途退学しても、それまでの勉強が役に立ちます。こうして資格を得させておけば、万一の場合、例えば夫に死別した場合などにも、見苦しく狂い迷うようなことはありません。財産などは決して最後の保証にはなるものではありません。結局婦人も、自分一人の力を養い、しっかりした実力の上に生活の基礎をおくべきです。私はすべての生徒を働ける婦人に育てます。働ける婦人でなければ、決して理想の主婦ではありませんから」
自らの体験に基づいて培っただいの女性自立論がそこに吐露されていた。それだけに、不遇にあえぐ人、逆境から立ち上がろうとする人、心傷ついた人、こうした人々を、励まし、勇気づけるものであり、なかでも、若い女性やその親たちの心を強くとらえたのだった。
だが、反響はさらに輪を広げる。
(つづく)
※ 文中敬称略
※ 文中敬称略