『教育にイノベーションを』−安城学園100年の歴史と展望−
第2章 刻苦の学園づくり - 学校資格を高め #3 (第68話)
公開日 2012/07/23

これが安城女子職業学校に大きなショックを与えた。それは安城女子職業学校に類似し、競合は避けられないものだった。しかも、町立とあって町の在住者については無月謝とされたからであった。
全校生徒の6〜7割までが町内の高等小学校卒業者だった安城女子職業学校がこの実業補習学校出現によって受ける影響はきわめて大きく、その年(大正7年)4月、町内からの入学生は激減してしまった。これまでにない深刻な危機に陥った。
さらに時流も追い討ちをかけた。
第一次世界大戦によるインフレーションで物価は暴騰し、ついに象徴的な出来事として、7月には、富山県魚津町で米価格急騰にともなう暴動が発生、全国に米騒動として波及した。
こうした異常経済に学校経営も悩みが大きかった。
管理費や諸経費がどんどん上昇していく。どうしたらよいか。月謝を上げるか。しかし、ここでその挙に出たら、更なる生徒減は目に見えている。実業補習学校の設立で受けた痛手をより深めることになる。出来ることなら、この方法は避けたい…。
しかし、厳しい事態を切り抜けるには結局月謝値上げしか方策はなかった。これまでの月額50銭を2円に大幅にアップした。
だが、これで事を済ませているわけにはいかない。
―職業学校が実業補習学校とは違うという“差別”を打ち出して、「安城女子職業学校」の教育の特色を浮かび上がらせなければ…。
何らかの新しい手を打つことがなんとしても必要であった。そして行き着いたのは、
―学校資格を高めて、月謝に見合うよう教育の質を高めよう。
図ったのは、“中等教育機関”としての昇格であった。
(つづく)
※ 文中敬称略
※ 文中敬称略